この物語は、京都のある焼肉屋から始まった。(焼肉屋事件と呼ばれている)
私は1990年頃より講演会やクリスマスパーティやツアーなどにちょくちょく参加
していました。その催しの一つに「絵画教室」があり、誘われるままに試しに参加して
みた後、女性3人と焼肉屋に食事に行ったところからこの物語は始まる。
その中の一人が私の愛用している鞄を指して「その鞄、何?オジン臭い。」と発した
ことが口火となって、「シャツはズボンの中に入れちゃダメ!ダメ!」「その髪型何?
ダメ!ダメ!」「メガネも変えたら?」など3人からの手厳しいご指導の数々(私を話
のネタにして盛り上がっていただけという見方もできますが)。しかも焼肉屋を出る時
には、3人が円陣を組んで「神谷さんの改造、がんばるぞー、オー」と気勢を上げてお
りました。なんのこっちゃ。


しかし、このことが私の中ではきっかけとなり、少し自分を変えてみようかなと思い
始めました。ただ、あまりにも変えることが多く何から始めていいかよく分かりません
でした。
その後しばらくして、海外ツアーに参加した際、美容師のTさんとたまたま食事をご一緒
する機会があり、思い切って私の髪型について尋ねてみました。というのも就職して20
年来、7:3で分ける髪型を変えておらず、その内に髪も少なくなり、もうこの髪型以外
はできないだろうと諦めていたからです。「あのー、私の髪型なんですが、変えることで
きますか?」と恐る恐る聞いてみたところ「変わるわよ」とやさしく答えてくれました。
「ホントですか?どんな髪型になるんですか?」と身を乗り出して尋ねたら、
「な・い・し・ょ!」「えー!」「今度、都合のいい時にうちの美容室にいらっしゃい」
とのお言葉。「うーん、・・・」
ツアーから帰ってさっそく美容室へ行きました。期待半分、不安半分。その
気持ちを見抜かれ「まな板の上の鯉って感じね」と。さて30分後、カット後の髪型を
見てびっくり。「こういうのがあったのか!」という驚きと感激。さすが元祖カリスマ美容師。
さて、髪型を変えた後、今度は、美容室を手伝っていた娘さんから、服についてのご指導
が入りました。「服のコーディネートがバラバラじゃない?服の色はカバンも含めて2色
までがいいわよ」とのアドバイス。なるほど。
さっそく次の日に洋服探し。色々お店を回りながら「2色までかぁ」と悩んでいたと
ころ、その時期、仲間内で流行っていた「黒」を思い出し、シャツ、ズボン、ジャケット
など買うのは全て黒、黒、黒。そして次はメガネ、カバン、・・・と揃え、後はデビュー
を待つばかり。
いよいよ変身デビューがやってまいりました。その場所は「熊野ツアー」。もう、皆
さんびっくり仰天。「素敵!」「かっこいい!」「業界の人みたい!」など、好反応の
数々。ある人からは「声をかけやすくなった」とのお言葉。

これは嬉しかった。実は今まで私は、「内面を磨くことが重要で、外見なんてどうでも
いい」と思っていたのですが、実はそうではなく、「人は内面も外見も共に重要なんだ」
ということがよく分かりました。人間関係の始めは外見から入るわけで、いかに内面を
磨いたとしても、外見でシャットアウトされてはその先に進みませんから。それに、
なれるものなら内面も外見も共にステキになりたいですし。
また、この時に思ったのは、まず髪型から変えてよかったなということです。髪型が
お洒落になると、それに似合うお洒落な服を着たくなるし、服がお洒落になるとそれに
似合うカバンにしたくなるという良い連鎖が始まるから。実はこれは企業などの組織も
同じで、頭(トップ)が変わることで全てが変わるように思います。何か宇宙の真理の
ようなものを感じます。
この変身がきっかけとなって、その後、色々な縁も重なり、ついに念願の結婚ができ
たわけですが、これについては次回にお話させていただくとして、こうやって振り返っ
てみると、あの京都での焼肉屋事件が発端だったということがよく分かります。もしも
あの時、「勝手なことを言いやがって」とか「どうせやっても無駄だから」なんて思っ
ていたら今の自分はなかったと思います。他人の意見に対して、素直になって受けとめ
てみる、そして、勇気をもって実行してみる、そうすることで、なりたい自分に変われ
るような気がします。これからもこのことを忘れないようにしたいと思っています。

(その2へつづく)