シャンティAKIは、仲良し夫婦が運営しているアットホームな“結婚”の相談所です。
お互いが無理をせず自分らしくいられて、一緒にいて心地よい。そのような「ありのままの自分でいられるパートナーシップ」って素敵ですよね。
「ありのままの自分」ということを私達は大事にしているのですが、この「ありのままの自分」って一体何だろうか?とあらためて考えてみました。
「ありのままの自分」といっても色々なレベルがあるように思います。
「ありのままの自分」ということで真っ先に思い浮かぶのが、「飾らなくてもよい」「普段のままでよい」「格好つけなくてよい」というものです。人の目を気にせず素のままでよいというものです。 例えば、生活スタイルや言葉遣いなど、自分が在りたいままでよいということです。他人からどう思われるか気にせず、自分が心地良いようにするというものです。 自分を飾るようになったのは、世間の常識など、今まで生きてきた中で身に付けてきたものです。それが自分にとって心地良いものであれば全然問題はありませんが、居心地が悪かったり苦痛だったりする場合はやめたいですね。末永く一緒にいるパートナーとの間では疲れることはしたくありませんし、疲れる状態であれば長続きはしません。 パートナーシップとしてお互いが飾らなくても済む、素のままでよい、というのはとっても楽ですし、お互いに安心感が生まれます。 自分が心地良いように過ごす、というのは比較的簡単ですが、ちょっと難しいのはパートナーが「ありのまま」でいることを許すことです。 自分がありのままでいたいならば、パートナーも同じようにありのままでいることを許す必要があります。お互い様ということですね。自分はありのままでいたいけど、相手には自分の思う通りであってほしいというのはワガママというものです。 但し、パートナーシップというのは共同生活ですので、お互いに調整や歩み寄りというのは必要になります。調整とか歩み寄りというのは、コミュニケーションスキルの一つですので、練習することで上手くできるようになります。特に話を聴くということが大事ですね。 上記1の「飾らなくて良い」というのは外側に現れることを言っていますが、次のレベルは心の内側のことです。 「ありのままの自分」とは、「自分は本当はこう思っている」とか「自分は本当はこう感じている」という心の内を率直にオープンにできるということです。 「明け透け(あけすけ)」という言葉がありますが、この「明け透け」が一番ぴったりくるかもしれません。 心の内といっても多種多様です。自分はこうしたいという意思がはっきりしたことは話しやすいのですが、自分の悩みとなるとそうはいきません。 普通は自分の悩みを人に話すことはあまりしませんし、特に男性はその傾向が強いものです。何故、男性は悩みを人に話さないかというと「そんな(ちっぽけな)ことで悩んでいるの?」と思われたくないからではないでしょうか。 悩みを話そうとしても、相手が「弱みを見せるなんて男らしくない」なんて思っていたりするのが垣間見えると話せなくなってしまいます。「~すべきである」「~でなければならない」というような固定観念はなるべく手放していった方が、相手との心の距離感は縮まると思います。 パートナー同士でお互いに悩みを話せるようになるととても面白いです。自分だけでぐちぐちゃ考えていると余計に袋小路にはまってしまいますが、パートナーに悩みを話すと、話をすることで思考が整理されるとともに、パートナーは本当のことを言ってくれますので、「あっ、そうか! うー、痛いところを突かれた」となって、自分自身が見たくなくて避けていたものに気づかせてくれることもあります。言ってみれば「鏡」のようなものです。 鏡(かがみ)というのは、真ん中の「が(我)」を取ると「かみ(神)」になります。自分自身から我(エゴ)を取れば神になるということを鏡は教えてくれると聞いたことがあります。奥さんのことを「カミさん」なんていう言い方がありますが、奥さんも鏡になってくれるという意味で「神さん(カミさん)」なのかもしれません。 悩んでいる人は弱い人だとか、何とか助けなければ、とか思ってしまうとお互いがしんどくなってしまいます。人はいつも成長する過程にあり乗り越えていける、という信念があれば相手の話も冷静に聞くことができると思います。 自分が本当に感じていることをオープンに話すというのは、信頼関係がないとできません。本当のことを言うのは相手を傷付けてしまうことがあるからです。そのため、本当のことを言ってくれるパートナーは有り難いものです。パートナーとはお互いに本当に感じていることをオープンにしていくことで信頼関係が育まれ、信頼関係が育くまれることで本当に感じていることをオープンに話ができるという循環ができるのだと思います。 自分が在りたいように生きるといっても、自分はどう在りたいか、どうしたいかといういわゆる自分の本心や本音が分かりづらい人もいるかと思います。かくいう私も自分の本心が分かりづらい方です。 何故自分の本心が分かりづらいかというとすぐに頭で考えてしまうからなんですね。頭は分析をするものであり、本心は字のごとく「心」ですので感じるものです。頭で考えれば考えるほど感じることからは遠ざかってしまいますので、本心は分からなくなってしまいます。 頭で考える時は「良いか悪いか」「損か得か」という基準で考えてしまいます。その基準の前提となっているのは「~すべきである」「~でなければならない」といった固定観念です。固定観念が強ければ強いほど自分の考えや価値観に縛られてしまい、思考から離れることができません。こういった無意識領域にある強い固定観念はクリアリングすると楽になります。(クリアリングについてはこちらを参照) 「心の声を聞く」という言い方がありますが、頭の中の声が心の声ではありません。「何となく感じる」「体感に似たようなものを感じる」といったものだと思います。直観と言っても良いかもしれません。 私がこの「何となく感じる」ために行っていることは、身体の感覚を感じることです。具体的には、一人で筋反射テストを行って身体の反応を確認しています。最初は分かりにくいですが、慣れると分かるようになります もう一つ大事にしていることは「本当にやりたいことだったら迷わない」ということです。 「これをやった方がいいのだろうか?」とか「これは自分のやりたいことなんだろうか?」とか、頭で考えても整理が付かず、悩んでいるというのは、「やらなくてもよい」「やりたくない」ということのように思います。本当にやりたいことだったら迷わないですからね。 いつも頭が思考で一杯ですと、こういったことは直ぐに忘れて、つい分析に走ってしまういます。そういった時にパートナーがいると、思考モードであることに気づかせてくれるので有り難いですね。「おっと、そうだった」と原点に戻れます。 「ありのままの自分」とはどういうことかということを書いてきましたが、そもそもこの「自分」とは誰か、「自分」とは何かということがとても大切なように思います。 「自分とは誰か? 何者だろうか?」という疑問あるいは不思議さがあります。「この肉体が自分なのか? 思考や感情が自分なのか? それに気づいている意識が自分なのか?」という所謂、自己探求というものです。 「思考や感情に気づいている意識が本当の自分だろう」と思ってはいるのですが、これは感覚ですので、上手く言葉にはできません。 パートナーとこのようなスピリチュアルな(精神的な、本質的な)ことを話すのはとても楽しいものです。人生の本質的なこと、本当に大事なことを、お互いに共有しながら一緒に探求していき、一緒に成長していけるパートナーがいることは何にも代えられない幸せなことだと思います。 パートナーと一緒に暮らしていく中で、「ありのままの自分」でいられることほど大切なものはないと感じています。 そのためには、お互いが「ありのままの自分」でいられることの大切さを理解し、協力し合っていくことに尽きるような気がします。 「ありのままの自分でいられるパートナーシップ」をシャンティAKI(“結婚”の相談所)は応援しています。1.飾らなくてもよい
2.心の内をオープンにできる
3.自分の本心で生きる
4.そもそも「自分」とは何か?
5.「ありのままの自分でいられるパートナーシップ」の面白さ