仲良し夫婦研究家のAKI(夫)です。「ありのままの自分でいられるパートナーシップ」を夫婦でお手伝いしております。

夫婦円満の秘訣「7つの習慣」の一つに「パートナーは対等と認識する」というのがあります。

夫婦関係が対等ではない、つまり、夫婦関係が上下関係や優劣関係だと夫婦円満にはなりづらいということです。まぁ、考えてみれば至極当たり前のことです。

例えば、沢山稼ぐ方が偉いという意識を持っていたりすると、「誰のおかげでメシが食えていると思っているんだー!」というような昭和のお父さんのような感じになるわけですね。まぁ、私の場合は、「誰のおかげでメシが食えているか」と問われたら、「メシを作ってくれる妻(伊左代さん)のおかげです」と答えてしまいますけどね(笑)

夫婦間で上下関係や優劣関係の意識を持っていると、差が微妙であればマウンティングを取り合うでしょうし、逆転できそうもないくらいに差があれば諦めてしまい、支配・従属の関係になってしまいますので、いずれにしても心地良い関係にはなれません。支配する方は一見気分はよいかもしれませんが、支配される方は気分はよくありません。その気分の悪さは顔や態度に出ますので、気分の悪さが相手に伝わって、支配する方も気分は悪くなります。ネガティブ循環になるということです。

また、表面的には「私達は対等よね」と思っていても、無意識的には、上下関係・優劣関係が潜んでいたりします。例えば、夫婦共働きの場合、収入が多い方は多少なりとも優越感を持つでしょうし、少ない方は劣等感を持っても不思議ではありません。

また、家事の分担にしても、「私ばっかり」とか「私の方が分担が多くて大変」と思っている場合もあります。

何故、夫婦関係においても上下関係・優劣関係になりがちなのでしょうか。

一つは、仕事などの社会的な関わりから来る影響です。仕事は上下関係の最たるものです。友達との集まりでもマウンティングが直ぐに始まります。その鬱憤が夫婦関係に持ち込まれるというものです。どこかでストレス発散しないとやっていられないですし、誰かが自分の言うことをきいてくれたら、自分は癒やされる気がしますから。

もう一つは、自分の無価値感から来るものです。優越感を感じることではじめて自分の価値を感じる。つまりその根底には無価値感があるということです。優秀でないと認めてもらえない、愛してもらえない、だから優秀であろうと頑張る、というものです。これは多くは幼少期の親との関係で育まれるものです。ちなみに、幼少期に育まれたもので今生きるのに邪魔なもの(トラウマと言います)をクリアリングするにはFAP療法はとても役立ちますよ。

ところで、亭主関白の傾向が強い夫は、夫婦の立場が平等である夫よりも死亡率が高いというのをご存じでしょうか。

「名医が教える 寿命を延ばす恋愛医学」(森田豊著)という本に、「亭主関白&かかあ天下は長生きできない!?」と題して、亭主関白の傾向が強い夫は、夫婦の立場が平等である夫よりも死亡率が高いという、ミシガン大学の研究について書かれています。

この本によると、亭主関白な人は、病気などが原因で死ぬ可能性が、亭主関白でない人より20%多いそうです。亭主関白な男性は、社会や家庭で権力を得ようとして周囲の人と争う傾向が強く、ストレスが高くなるからとのことです。

「人生は太く短く」という考えであれば別ですが、少しでも長生きしたいということであれば、男性だったら亭主関白は止めた方がよいでしょうね。

妻からすると、夫に早く逝ってもらいたかったら、亭主関白を助長させるというのも一つの手ではありますね。(コワイ、コワイ(笑))

「夫婦は対等」という認識を意識的に持つようにすることは、夫婦円満になる、長生きする、ということ以外にもいいことがあります。それは仕事においてです。

例えば、「上司は偉いわけではなく、単なる役割である」という認識がハッキリします。そうすると緊張せずにいられて、フランクに自分の意見を言えたりします。今の時代、自分の意見を伝えられるというのはとても大切なことですので、評価にも繋がります。また、フランクに自分の意見が言えることで、上司からパワハラやセクハラを受けにくくなります。ハラスメントは弱そうに見える者に対して行われますのでね。

夫婦関係で対等な関係が築けますと、仕事も含めて社会との関わり全般にも影響が波及します。それはどんな方とも「人として対等」という意識ができてくるということです。例えば、病人や障害者の方を見ても「可哀想」という意識は出にくくなります。「可哀想」というのは上から目線ですからね。

「人として対等」ということは、上下関係の意識から脱却する、つまり「支配・従属の関係から脱却する」ということでもあります。これは心の自由を得るということでもあります。また、優劣関係から脱却することは、何かをすることの価値から「在ることの価値」に気づいていくことでもあります。

「在ることの価値」というのは、一緒にいるだけで幸せ、なーんもしなくても幸せ、ということです。こういう幸せを感じる関係が「ありのままの自分でいられるパートナーシップ」なんじゃないかなと思うわけです。

以前、夫婦で延命治療ついて会話をしたことがあります。

伊左代さんは「私は、延命治療はしないと決めているのね」ということでした。それを聞いて自分はどうするかなと暫く考えました。出した答えは「伊左代さんが生きている間は何でもいいから延命治療を受ける。伊左代さんが先に逝っていたら、延命治療は受けない」というものでした。以前は、自分の方が先に逝きたいと思っていました。それは伊左代さんが先に逝ったら、寂しくて耐えられないからです。でも、そうなると伊左代さんが寂しい思いをするなぁとあるとき気づきました。それ以来、1日でも長く伊左代さんよりも長生きするのが優しさなのかなと思っています。まぁそんなことを思っているのは私だけで、私がボケ始めたらどこかの安い老人ホームにさっさとぶち込まれるかもしれませんが。(笑)

by AKI